劇団四季の歴史 理念・方針 名前の由来 上演作品 年間上演数 年間来場者数 専用劇場 などを紹介

劇団四季 創設からの歴史劇団紹介
劇団四季 創設からの歴史

劇団四季は、本部を神奈川県横浜市青葉区あざみ野一丁目に置き、四季株式会社が演劇事業・劇場運営事業 を行う、日本の商業演劇を代表する劇団です。

俳優・技術スタッフ・経営スタッフ約1300名で組織された、日本国内最大、世界的に見ても最大規模の演劇集団であり、日本国内(東京・大阪・名古屋・札幌)に8つの専用劇場を持ち、年間の総公演回数は3000回以上、総観客数は300万人を超え、日本にミュージカルを定着させるのに大きな役割を果たした日本演劇界のリーディングカンパニーです。

参考までに業界第二位の宝塚歌劇団と比較してみたいと思います。

劇団年間公演数年間観客動員数
劇団四季300万人以上約3000公演
宝塚歌劇団277万人以上約1300公演
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上演作品

劇団四季創設者の一人で、四季株式会社の代表取締役社長・会長・芸術総監督の浅利慶太(2014年6月退任)がプロデュースを手がけて制作する「劇団四季のオリジナルミュージカル」や「劇団四季のファミリーミュージカル」の上演から、輸入海外ミュージカルまで幅広いジャンルの作品を上演、JR東日本アートセンター自由劇場開業後は従前のストレートプレイの上演も増加している。

劇団設立当初は、アート志向で、新劇団体(俳優座、文学座など)に近い演目を上演していましたが、1972年頃から商業演劇に転向しました。

【主な海外ミュージカル】

  • 赤毛のアン
  • ウィキッド
  • ウエストサイド物語
  • エビータ
  • オペラ座の怪人
  • キャッツ
  • クレイジー・フォー・ユー
  • コーラスライン
  • サウンド・オブ・ミュージック
  • ジーザス・クライスト=スーパースター
  • パリのアメリカ人
  • マンマ・ミーア!

【ストレートプレイ】

  • アルデールまたは聖女
  • 思い出を売る男
  • オンディーヌ
  • 恋におちたシェイクスピア
  • ハムレット
  • ひばり
  • ブラックコメディ
  • 鹿鳴館

【ディズニーミュージカル】

  • アイーダ
  • アナと雪の女王(2020年9月開幕)
  • アラジン
  • ノートルダムの鐘
  • 美女と野獣
  • ライオンキング
  • リトルマーメイド

【オリジナル作品】

  • 嵐の中のこどもたち
  • エルコスの祈り
  • 王様の耳はロバの耳
  • 王子とこじき
  • ガンバの大冒険
  • ジョン万次郎の夢
  • 人間になりたがった猫
  • はだかの王様
  • ミュージカル異国の丘
  • ミュージカル南十字星
  • ミュージカル李香蘭
  • ユタと不思議な仲間たち
  • 夢から醒めた夢

上記は、2000年以降に上演歴がある作品の一部です。

演劇(作品)に対する理念・方針

劇団四季には『作品主義』という考え方があります。これは、俳優の人気・知名度に頼って集客をするのではなく、作品そのものが持つ感動をストレートにお客さまに届けるということです。

【劇団四季公式ホームページより引用】
テレビや映画などで有名なスターを、その知名度を生かしてキャスティングすることはありません。舞台俳優にとって重要なのは、知名度よりも観客を感動させる技術と能力です。俳優は作品を輝かせるために存在するのであって、その逆ではありません。

このため、『台本の内容を正確に客席に届けることができない者、一音でも落とすような者は去りなさい』という意味で、『一音落とす者は去れ』という教訓が掲げられています。

また、劇団四季の有名な教訓で、『慣れ、だれ、崩れ=去れ』があります。

これはレベルの高い演技者でも同じ演目を長く続ければ、『慣れ』が生じ、『慣れ』はやがて『だれ』に変わり、『だれ』により演技が『崩れ』ます。

この言葉は、そんな役者は劇団を辞めなさいという戒めの言葉です。

また、スターを必要としない厳格な実力主義であり、俳優個人を売り出してはいないため、『入り待ち・出待ち』はしてはいけないというのが、ファンの間での暗黙のルールです。

劇団四季の歴史

1953年(昭和28年)7月14日に劇団七曜会から分裂する形で劇団四季を設立。

当初は、東京大学文学部仏文科の学生(米村晰ら)と慶應義塾大学文学部仏文科の学生(浅利慶太・日下武史ら)を中心として10人で結成した学生演劇集団であった。

最初からミュージカル劇団を志向していたわけではなく、設立からかなり長い期間がストレートプレイ専門の劇団だった。

1960年に有限会社劇団四季を設立し法人化。

浅利慶太は石原慎太郎に知己を頼り、五島昇の仲介で日生劇場の開設と運営に携われることになった。

劇場運営から経営スキルを身につけ、次第に商業演劇指向へと変化する。

1967年に四季株式会社へ改組。

この名付け親は俳優・演出家の芥川比呂志である。

芸術性を優先して日本人による創作劇を連続上演して経営危機に陥ったり、生活を支えるためにアルバイトを優先する劇団員とそれを批判した劇団幹部の対立によって内部分裂の危機に見舞われたりしたが、安定した集客力をもつ高水準の芝居を上演することで、公演だけで法人運営が成り立ち劇団員も生活できる経営を志向するようになっていく。

1971年に浅利のプロデュースで越路吹雪主演のミュージカル「アプローズ」がヒットすると、様々なミュージカルを上演しながらノウハウを蓄積し、1979年に「コーラスライン」を上演したことが転機になる。

1983年に西新宿の都有地空地を借りテント張りの仮設劇場を設置し、1984年11月10日まで「CATS」のロングラン公演に踏み切った。

1985年には大阪市西梅田の旧国鉄コンテナヤードに設置した仮設テント劇場で「CATS」を再演、13か月のロングラン公演を達成した。

浅利は中曽根内閣時代に中曽根康弘のブレーンを務め、政界から経済界への広い人脈を活かすようになる。

創立45周年の1998年に国鉄改革により接点が生じた松田昌士が当時社長を務めた東日本旅客鉄道(JR東日本)が※メセナ活動の一環として「JR東日本アートセンター 四季劇場」を竣工し、それを関東地方初の専用劇場とした。

【メセナ活動】
企業が主として資金を提供して、文化・芸術活動を支援すること

四季劇場[春]のこけら落とし作品である「ライオンキング」は日本最長である15年以上のロングラン公演記録を日々更新した。

『劇団四季』名前の由来

1953年の劇団設立当初、劇団名の候補は『劇団荒地』であったが、創設メンバーの浅利慶太・日下武史らが、演出家・芥川比呂志氏に相談したところ、『そんな名前をつけると、若いうちはいいかも知れないが、後に困る』と反対された。

当時フランスで活躍していた劇団『テアトル・デ・カトルセゾン』という劇団がありました。

『デ・カトルセゾン』はフランス語で『八百屋』を意味します。

八百屋が四季折々の様々な種類の新鮮な野菜を提供するのと同様に、劇団も一つの色や形に固まることなく、タイプの違う芝居を公演したらいいだろう。

『色とりどりの芝居を1年に4本(季節ごと)ぐらいはお客様にご覧いただけるような劇団になって欲しい』という願いが込められ、提案された名前が『劇団四季』です。

これにより、当初『劇団荒地』に決まりかけていた名前が『劇団四季』となったことはファンの間では有名な話です。

役者の雇用形態

通常は劇団の研究生オーディションで選出され研究生として入団し、劇団内で育成されて役者(実演家)として所属契約を結んで出演となるが、近年は外部の劇団や芸能プロダクション所属の役者・歌手が登用されて出演する事もかなり増加している。

最近では、アラジンのアラジン役・ライオンキングのシンバ役・ノートルダムの鐘のカジモド役といった主要な役柄を演じ、ノート ルダムの鐘ではCDのキャストにも選ばれている『海宝直人』は外部キャストです。

役者の雇用区分は個人事業主(請負社員)であり、出演料は配役と出演回数に応じて変動する。

主役や主役の相手役、準主役クラスでは年1000万円を超えている者がいると噂されていたが、現在は四季側が公表している。

専用劇場・常設劇場

  • NOMURA 野村證券 ミュージカルシアター JR東日本四季劇場[春](東京都港区海岸):2020年9月OPEN予定
  • JR東日本四季劇場[秋](東京都港区海岸):2020年7月OPEN予定
  • 有明四季劇場(東京都江東区有明):2021年夏OPEN予定
  • JR東日本アートセンター自由劇場(東京都港区海岸・浜松町)
  • キャッツ・シアター(東京都品川区広町・大井町)
  • 積水ハウスミュージカルシアター四季劇場[夏](東京都品川区広町・大井町)
  • 大同生命ミュージカルシアター電通四季劇場[海](東京都港区東新橋・汐留)
  • 大阪四季劇場(大阪市北区梅田)
  • 名古屋四季劇場(名古屋市中村区名駅南)
  • 北海道四季劇場(札幌市中央区大通東)

京都劇場(京都市下京区)、キャナルシティ劇場(福岡市博多区)は、長期契約により専用劇場化しているが、劇団四季が運営する劇場ではない。

他にも、定期的に開催される神奈川公演・静岡公演・仙台公演・広島公演の際に使用される会場は下記の通りです。

  • KAAT 神奈川芸術劇場(神奈川県)
  • 静岡市民文化会館(静岡県)
  • 東京エレクトロンホール宮城(宮城県)
  • 上野学園ホール(広島県)